Profile(プロフィール)

氏名 | Jay Williams (ジェイ・ウィリアムス) |
生年月日 | 1981年9月10日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ニュージャージー州プレインフィールド |
身長 / 体重 | 188cm / 88kg |
出身校 | デューク大学 |
ポジション | PG |
ドラフト | 2002年ドラフト2位 |
所属 | 2002 – 2003:CHI 2006 :NJN |
受賞歴 | – |
引退 | 2006年 |
Stats(スタッツ)
- オフェンス
- 2
- 人気
- 2
- 勝負強さ
- 4
- テクニック
- 3
- ディフェンス
- 3
PER | 12.2 |
BPM | -2.0 |
OBPM | -1.3 |
DBPM | -0.8 |
USG% | 21.0% |
WS/48 | .020 |
TS% | 47.2% |
PER :実力指数。リーグ平均は15。
BPM :選手の貢献度を表す指標。平均は0。
OBPM:攻撃でチームに与える影響(0で先発クラス)
DBPM:守備でチームに与える影響(0が先発クラス)
USG%:その選手で終わったオフェンス割合。
WS/48:48分換算での勝率。高いほど優れている。
TS% :全シュートを考慮したシュート確率。
↓詳細なスタッツはBasketball Reference(英語:外部サイト)へ

Play Style(プレースタイル)
短命に終わった将来の名司令塔候補
Jay Williams(ジェイ・ウィリアムス)は、デューク大学で3年間プレーし、2001年にはネイスミス賞とジョン・R・ウドゥン賞を受賞するなど全米No.1選手として活躍。2002年ドラフトで全体2位指名を受け、シカゴ・ブルズに入団した。大学時代から高い評価を受けていたオフェンス能力とプレーメイク力をNBAでも発揮し、平均9.5点、4.7アシストという及第点のスタッツを記録。当時はジェイソン・キッドがニュージャージー・ネッツをNBAファイナルに導いたこともあり。ウィリアムスにも飛躍が期待された。しかし、2年目のオフシーズンにバイク事故を起こし、骨盤や神経に大怪我覆ったことで実質的にキャリアは終わりを迎えた。
引退後はバスジェットボール解説者やアナリストとして活躍し、メディアへの出演も多い。
優れたプレーメイキング
コートビジョンが広く、PGとして類まれなパスセンスを持っていたことから若手中心のチームのプレーメイカーとして活躍。ファストブレイクでもハーフコートでもプレーメイクできる柔軟性を持っていた。
オフェンスのバリエーション
プレーメイクだけでなく、スコアリング能力にも優れており、ドライブでの得点やミドルシュートなどを駆使して得点することができるため、NBA入り直後にはトリプルダブルを記録する活躍を見せている。
コート上でのリーダーシップ
NBAでは1シーズンのみのプレーだったものの、名門デューク大学時代からチームとまとめるリーダーシップを発揮。NBAでも再建中のシカゴ・ブルズを牽引するプレースタイルを示した。
対人ディフェンス
NBA入り時点でのディフェンスは発展途上であり、大型のガードに対しては不利なマッチアップになることが多かった。また、スクリーンへの対応についても課題があるとされていた。
ターンオーバーの多さ
シュート力とプレーメイク力を併せ持った司令塔だったが、ギャンブル的なパスも少なくなかったため、多くのターンオーバーを記録している。
3Pシュートの効率
現代ほど3Pシュートが重要視されていなかった時代だったが、スペースを広げるという意味でも3Pシュートの確率は課題とされていた。3Pシュートの確率が上がれば、オフェンス面では穴のないPGになっていただろう。
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