(2025/7/6 更新)
クライド・ドレクスラーは1962年6月22日生まれ、ルイジアナ州ニューオーリンズ出身のスゥイングマン。
ヒューストン大学には“Phi Slama Jama”の一員として注目を集め、1983年ドラフトでポートランド・トレイルブレイザーズから14位指名された。12シーズンに渡ってブレイザーズに所属し、在籍期間中にエースとしてチームを2度のNBAファイナルに導いた。1995年にヒューストン・ロケッツにトレードされ、歴代屈指のセンターであるアキーム・オラジュワンとプレーし、1995年には初のNBAチャンピオンに輝いた。通算15シーズンで12回のオールスター選出、通算得点22,195点、通算リバウンド6,677本、通算アシスト6,125本を記録。2004年にはバスケットボール殿堂入りを果たした。
Profile(プロフィール)

氏名 | Clyde Drexler (クライド・ドレクスラー) |
生年月日 | 1962年6月22日 |
出身地 | アメリカ合衆国 ルイジアナ州ニューオーリンズ |
身長 / 体重 | 201cm / 101kg |
出身校 | ヒューストン大学 |
ポジション | SG / SF |
ドラフト | 1983年ドラフト14位 |
引退 | 1998年 |
所属チーム | 1983 – 1995:POR(ブレイザーズ) 1995 – 1998:HOU(ロケッツ) |
主な受賞歴 | リーグ優勝(1995) オールNBA 1st チーム(1992) オールNBA 2nd チーム(1988, 1991) オールNBA 3rd チーム(1990, 1995) オールスター出場(1986, 1988-1994, 1996, 1997) 永久欠番(POR, HOU) 殿堂入り |
Play Style(プレースタイル)
「The Glide」と呼ばれた万能性の高いスゥイングマンの完成系
1980~90年代におけるリーグ屈指のスラッシャーで、高い身体能力とスムーズさを兼ね備えたオールラウンドプレーヤー。特にトランジションオフェンス時のフィニッシュ力が高く、鋭いドライブから得点を積み重ねる。「The Glide」と呼ばれるほどの空中での滑らかさを持っており、同時代のマイケル・ジョーダンとも比較されることが多かった。
スコアリングだけでなくリバウンドやアシストでもバランス良く貢献するプレースタイルで、1988-89シーズンには平均27.2得点・7.9リバウンド・5.8アシスト・2.7スティールという圧巻のスタッツを残した。また、ペリメーターからのジャンプショットに安定感があり、ポストアップやカットインの使い方が的確で、試合の流れを読んでオフェンスを組み立てる。ディフェンス面においてもウィングスパンを活かしてスティールやヘルプディフェンスで貢献。
時代を代表するエース選手でありながら、チーム第一主義のプレーを重要視した。
- オフェンス
- 5
- 勝負強さ
- 4
- テクニック
- 3
- 身体能力
- 4
- ディフェンス
- 4
- トランジションでの決定力
- 空中での体勢制御や多彩なフィニッシュ力を持っており、オープンコートでの決定力が高い。
- オールラウンドな貢献
- 得点・リバウンド・アシスト・スティールで万能なスタッツを残し、ウイングの選手として理想的。
- クラッチシーンでのリーダーシップ
- 試合終盤や重要な試合でも冷静な判断でスコアリングし、チームを牽引するリーダーシップを持つ。
- 3Pシュートの安定感
- 時代的に3Pシュートが重要視されていなかったが、ミドルレンジに比べて苦手としている。
- フリースロー精度
- キャリア通算でのFT成功率が78.8%と、エース級のウイングとしては安定感に若干の不安がある。
- ターンオーバーの多さ
- ボール保持率が高かく、ボール保持時の判断ミスによってターンオーバーが誘発されることがある。
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Stats(スタッツ)
PER | 21.1 |
BPM | 5.4 |
OBPM | 4.1 |
DBPM | 1.3 |
USG% | 25.4% |
TS% | 54.7% |
PER :実力指数。リーグ平均は15。
BPM :選手の貢献度を表す指標。平均は0。
OBPM:攻撃でチームに与える影響(0で先発クラス)
DBPM:守備でチームに与える影響(0が先発クラス)
USG%:その選手で終わったオフェンス割合。
TS% :全シュートを考慮したシュート確率。
↓詳細なスタッツはBasketball Reference(英語:外部サイト)へ
