(2025/5/13 更新)
アンファニー・”ペニー”・ハーダウェイは1971年7月18日、テネシー州メンフィス生まれ。高校時代から天才肌のポイントガードとして注目を集め、Memphis State University(現メンフィス大学)に進学。1993年NBAドラフトでは全体3位でゴールデンステート・ウォリアーズに指名されるも、即日オーランド・マジックにトレードされ、シャキール・オニールとのデュオで一気にリーグの顔となる。ルーキーイヤーから頭角を現し、2年目には平均20.9得点、7.2アシストを記録。1995年にはNBAファイナル進出を果たす。その後はフェニックス・サンズ、ニューヨーク・ニックス、マイアミ・ヒートを渡り歩くも、度重なる膝のケガに悩まされ全盛期は短命に終わった。
Profile(プロフィール)

氏名 | Anfernee Hardaway (アンファニー・ハーダウェイ) |
生年月日 | 1971年7月18日 |
出身地 | アメリカ合衆国 テネシー州メンフィス |
身長 / 体重 | 201cm / 100kg |
出身校 | メンフィス大学 |
ポジション | SG / PG |
ドラフト | 1993年ドラフト3位 |
引退 | 2008年 |
所属チーム | 1993 – 1999:ORL(マジック) 1999 – 2004:PHX(サンズ) 2004 – 2006:NYK(ニックス) 2007 – 2008:MIA(ヒート) |
主な受賞歴 | オールNBA 1st チーム(1995, 1996) オールNBA 3rd チーム(1997) オールルーキー 1st チーム(1994) オールスター出場(1995–1998) |
Play Style(プレースタイル)
怪我に泣かされた”マジック・ジョンソンの再来”
1990年代を代表する大型ポイントガードの1人であり、身長201cmというサイズでPGをこなす当時としては異質な存在だった。ボールハンドリング、コートビジョン、パスセンス、スコアリング能力のすべてを高水準で備えており、“マジック・ジョンソンの再来”とも称された。特にトランジション時の視野と創造性、そしてスムーズでエレガントなプレーはファンを魅了。ミッドレンジでのジャンパーやポストアップからの展開力もあり、スイッチディフェンスにも強かった。
ディフェンス面でも、長い手足とバスケットIQを活かしてパスカットやスティールを狙い、1996年にはオールディフェンシブ2ndチームにも選出されている。チームの司令塔として、またスコアラーとしても機能できる希少なプレーヤーだった。プレースタイルは「華麗さ」と「効率性」を兼ね備え、かつてのオーランド・マジック時代にはリーグ屈指のスーパースターだった。。
- オフェンス
- 4
- 勝負強さ
- 4
- テクニック
- 4
- 身体能力
- 3
- ディフェンス
- 4
- サイズとスキルを兼ね備え、華のあるオフェンススキル
- 「マジック・ジョンソンの再来」と言われるほど視野と判断力に優れたプレーメイク力を持っている。
- 多彩なオフェンスバリエーション
- ミドルシュート / ドライブ / ポストアップと多彩なスコアリング手段を持っている。
- 勝負所でのリーダーシップ
- 若手時代からチームを牽引し、圧倒的なオフェンス能力で勝負強さを発揮した。
- 度重なるケガによる停滞
- 膝の故障によりプレータイムが大きく制限され、全盛期は短くなった。
- 3Pシュートの精度
- (時代背景もあるが)キャリア通算での3P成功率が31.6%と、3Pシュートの安定感は乏しい。
- ターンオーバーの多さ
- オフェンススキルに長けているがゆえに、強引なプレーや無理なパスが目立つ。
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Stats(スタッツ)
PER | 17.4 |
BPM | 2.5 |
OBPM | 1.7 |
DBPM | 0.8 |
USG% | 22.1% |
TS% | 53.5% |
PER :実力指数。リーグ平均は15。
BPM :選手の貢献度を表す指標。平均は0。
OBPM:攻撃でチームに与える影響(0で先発クラス)
DBPM:守備でチームに与える影響(0が先発クラス)
USG%:その選手で終わったオフェンス割合。
TS% :全シュートを考慮したシュート確率。
↓詳細なスタッツはBasketball Reference(英語:外部サイト)へ
